目次
はじめに

ご 挨 拶
ここに「NPO法人にゅうらいふ」ホームページを完全にリニューアルして開設することになりました。(以下「にゅうらいふ」)
「にゅうらいふ」を立ち上げて今年、令和5年4月時点で20年目を迎えました。
平成14年も終わろうとしていた12月末、「NPO」立ち上げの準備に入り、開けて平成15年になって、長野県庁「NPO推進室」に何度か足を運び、1月中には「にゅうらいふ」の申請手続きを終えています。正式に認証となったのは平成15年6月16日でした。
こうして「にゅうらいふ」が設立認証されてから、早くも20年の歳月が流れました。その間、退所したメンバーも含めて50名くらいの、主に精神に障がいのある方々を支えてきています。
精神に障がいがあると、取り分け極度な障がいがあると、無論本人自身も生きること自体想像を絶する困難な毎日となります。それを支える職員も本当に大変です。「にゅうらいふ」のグループホームは、数例の方を除いて、ほとんど全てのメンバーが重篤な精神的障がいを抱えている方々でした。
オリジナル曲「例えイジメられても」誕生までを振り返って見て
「にゅうらいふ」を語ろうとすると、やはりこのサイトの「Home」のページにある「NPO法人にゅうらいふ」の 「音 楽 活 動」で触れている、一人の女性の存在、そして、彼女が「Bメロ」を作詞作曲している「にゅうらいふ」のオリジナル曲「例えイジメられても」を抜きにして語ることはできません。
「Bメロ」をその女性がが作詞作曲している、「にゅうらいふ」のオリジナル曲「例えイジメられても」が作られた「誕生秘話」になります。
女性が「にゅうらいふの家(「にゅうらいふ」のグループホーム)で生活を始めたのは、平成17年5月3日、当時32歳でした。
それまでの女性の人生は困難を極めました。出生と同時に過酷な家庭環境で育っています。3歳の時両親は離婚しています。離婚に先だって、父親が連れ込んでいた女性が同居していましたが、その女性が彼女の育ての母親となます。此処では触れる余裕はありませんが、彼女に対する育ての親としての態度、人間性ですが、それなりに良い母親であったと同時に、極端に最悪な母親だったという、その間を行ったり来たり、だったようです。父親は癇癪持ちで変人で最悪な存在だったようです。社会性が完全に欠落していて、近所の人、学校でも誰も相手にしてくれないほど、性格人格的に問題を抱えている人間像だったようです。
こうした家庭環境での幼少期を経て、就職後程なく19際の時「統合失調症症状」が現れ入院し低増す。以来「にゅうらいふの家」で生活を始めるまでの13年間ですが、激烈な人生を極めています。統合失調症症状も深刻化していったと思われます。
「にゅうらいふの家」で生活を始めた当初の「統合失調症症状」ですが、「幻聴」「幻覚」「妄想」4~5人格が頻繁に入れ替わる「解離性人格障害」「音恐怖」「人間恐怖」「強迫神経症」最大2年半入浴できなかった「風呂恐怖」「鬱病」…………というような極めて困難な症状がありました。よく生きてきたものだ、が正直なところです。この世に「神様、仏様はいるのか」と思いたくもなります。
平成14年6月、ステージ3で手術手遅れの乳癌と診断される
この世に「神様、仏様はいるのか」がまたもや訪れます。
女性は平成26年6月に「ステージⅢ」で手術手遅れの乳癌と診断。1年半後には肝臓に転移して「ステージⅣ」にまで悪化。その後亡くなる平成30年10月までの4年半は、頻繁に襲われる激痛に耐えながら、部屋に戻れば夜となる一日がかりの抗がん剤点滴を受けてきました。私ともう一人の女性職員は、365日、24時間、夜昼深夜早朝関係の無い4年半を支えてきました。「福祉とか支援とか、仕事」というような話しで、どうこうなる話しではありませんでした。
女性が亡くなる7ヶ月ほど前でしたが、春の訪れ告げる若葉が芽吹き出した頃、乳癌の激痛が医療麻薬鎮痛剤「オキノーム」で治まっている暫しの合間、床に伏しながら、後に「例えイジメられても」の「Bメロ」となるフレーズを、突然口ずさみ歌い出しました。奇跡的としか言いようがありませんが録音に成功しています。女性は「長渕剛さん、ASKAさん」の大ファンで、歌が日々の支えでした。
女性が作詞作曲して歌った「Bメロ」を間に挟み、私事の多くを犠牲にして支えながら、深夜早朝も含めて、看病や一日がかりの病院付き添いの合間合間を見つけながらの困難な、あの一年半年が過ぎました。
そして、これも正に奇跡としか言いようがありませんが、女性が息を引き取る3週間前に「例えイジメられても」という曲が完成しました。YouTubeにアップしたのは、女性が永眠する3週間前でした。ホスピス愛和病院のベットで女性も聴いていますが、その時既に、恐らく身体中癌に冒されていて、立ち上がれず声も出せない状態でした。その後程なく昏睡状態となり、完成が数日遅れてしまったら自ら作詞作曲して歌った「例えイジメられても」を聴くこと無く亡くなってしまったと思います。崖に落ちる寸前な心境でしたが、女性の死に間に合わせることができました。女性の魂の叫び「曲にするまで死ぬんじゃない」という気持ちが「天」に届いたとしか言いようがありません。死期を意識しない限り、日の目を見ること無かった「例えイジメられても」でした。
乳癌の診断から亡くなるまでの4年半という時間は、本人、そして付き添った職員共に壮絶な4年半でした。「例えイジメられても」は、極度な精神障害を抱えながらも生き抜いてきて、最後は乳癌で力尽きた彼女が、この世で生きていた証となりました。身寄りのない彼女でしたが、代わって身寄りとなった私たちに、苦労を掛けたお礼にか、お詫びにか分かりませんが「例えイジメられても」を残して旅立ちました。
「NPO法人にゅうらいふ」の 沿 革
- 平成14年12月 末から「NPO法人」申請の為に情報収集を開始
- 平成15年1月 「NPO法人にゅうらいふ」申請書類一式を長野県庁の「NPO推進室」に提出
- 平成14年6月16日「NPO法人にゅうらいふ」正式に認証
- 同3月 、 共同住居「ハイツニューヤマシナ」開設(自主運営)、同時に女性のメンバーが入所
- 同6月 、共同住居「はやし荘西」開設(自主運営)
- 同8月頃までには、共同住居「ハイツ・ニューヤマシナ」「はやし荘西」二カ所のグループホームに全体で5人のメンバーが入所
- 平成19年1月「はやし荘西」放火により消失
- 平成21年2月、グループホーム「みどりの家」開設
- 平成22年4月、グループホーム「希望の家」開設
- 平成24年4月就労移行支援B型「ねばーぎぶあっぷ」開設
- 平成30年10月 身寄りの無い女性メンバーが永眠
- 令和元年12月、身寄りの無い女性メンバーが永眠。「にゅうらいふ墓」に埋葬
- 平成30年12月 「NPO法人にゅうらいふ」法人墓地購入
- 令和元年6月指定相談支援事業書「希望と微笑みプラン」開設